<2018年日本オープンの大会概要>
| 会場 |
横浜CC |
| 位置づけ |
男子プロゴルフツアー国内メジャー第3戦 |
| 賞金総額 |
2億円(うち優勝4000万円) |
| 観衆(ギャラリー) |
累計:2万1142人
1日目:3372人
2日目:3678人
3日目:6081人
4日目:8011人
|
| 優勝者 |
稲森佑貴(当時24歳) |
| 最終日の日時 |
2018年10月14日午前7時15分スタート |
| 最終日の天候 |
雨のち曇り |
| 最終日の風 |
弱風 |
稲森佑貴(当時24歳)が優勝
稲森佑貴(当時24歳)が優勝した。稲森にとってツアー初優勝だった。
「ツアー初優勝が日本オープン」は8人目
ツアー初優勝をメジャー大会で飾る結果となった。ツアー初優勝が日本オープンとなった例は、8人目。
2009年の小田龍一以来、9年ぶりだった。小田は、稲森と同じ鹿児島出身。
<ツアー初優勝が日本オープンの選手>
| 年 |
開催コース |
選手名 |
| 1977 |
千葉・習志野CC |
セベ・バレステロス(スペイン) |
| 1980 |
神奈川・相模原GC東コース |
菊地勝司 |
| 1981 |
岐阜・日本ラインGC |
羽川豊 |
| 1995 |
埼玉・霞ケ関CC東C |
伊澤利光 |
| 1996 |
大阪・茨木CC西コース |
ピーター・テラベイネン(米国) |
| 2002 |
山口・下関GC |
デービッド・スメイル(ニュージーランド) |
| 2009 |
埼玉・武蔵CC豊岡コース |
小田龍一 |
| 2018 |
神奈川・横浜CC |
稲森佑貴 |
【注】1973年のツアー制施行後。
4日間60台
最終日は、5バーディー、2ボギー、68。
5番のボギーで後続に1打差に迫られた。
しかし、9番で約10メートルのバーディーパットを沈めた。
後半に3つ伸ばし唯一、4日間60台。通算14アンダーで逃げ切った。
フェアウェーキープ率100%を達成した。
プロ入りから苦節8年
18番で短いボギーパットを決めると、右手でガッツポーズした。
プロ入りから苦節8年の思いが右拳に凝縮された。
「日本一曲がらない男」の実力を発揮した。
<稲森佑貴の当大会での使用クラブ・用具>
| 種類 |
メーカー、製品番号など |
| 1W |
ダンロップ スリクソン Z585(シャフト=フジクラ スピーダーエボリューション4-661、硬さX、ロフト9.5度、長さ44.75インチ) |
| 3W |
ダンロップ スリクソン ZF85(15度) |
| 5W |
ダンロップ スリクソン ZF85(18度) |
| UT |
ダンロップ スリクソン ZF85(19、22度) |
| アイアン |
ダンロップ スリクソン ZF85(5I~PW) |
| ウエッジ |
クリーブランド RTX4(50、58度) |
| パター |
オデッセイ オー・ワークス2ボール FANG |
| ボール |
ダンロップ スリクソン Zスター |
優勝までの道のり
稲森はプロ8年目だった。
高校2年でプロ入り。
2014年に初シード
稲森は2014年に初シードを獲得した。
その後、当大会までトップ10が21回。
善戦止まりだった。
大会の約1か月半前、6歳でゴルフに導いた父・兼隆さん(当時67歳)に叱咤激励された。
「メジャーを勝つしかない。日本オープンを勝て」
父の言葉に奮起した。
2018年9月からドライバーを替えた。今大会に照準を合わせた。
同世代の選手が次々と優勝
自身より後にシードを取った九州出身で同年代の選手たちが次々と優勝した。
時松、秋吉、出水田…。
その姿に「悔しさの方が強かった。焦りもあり、先を越されたような」と語った。
「日本一曲がらない男」
実家の打撃練習場では、幼少時から毎日300~400球のショットを欠かさない。
4年連続フェアウェーキープ率1位だった。
「曲がらない男」と呼ばれるようになった。
チャンスにつけても、それを仕留めるパットが苦手だった。
谷口徹の激励
2018年2月に合宿地の宮崎で、プロの大先輩・谷口徹(当時50歳)に言われた。
「(カップに届かない)“しょんべんパット”はするな」
谷口徹は通算20勝。
「パットの名手」と呼ばれた。
アドバイスを受けた稲森は、オーバーさせるほど強気に打つようにした。
当大会中も、1時間は練習グリーンに居残った。
優勝で、海外メジャー初出場となる2019年の全英切符を獲得した。
賞金ランク2位に浮上した。
プロフィール
<稲森佑貴>(いなもり・ゆうき)
1994年10月2日、鹿児島市生まれ。
当時24歳。
実家は練習場。
鹿児島城西高2年時の2011年、16歳でプロテストに1発合格した。
2014年ダンロップ・スリクソン福島オープン
2015年ブリヂストンオープンで2位。
2016年までキャンピングカーで父と転戦。
169センチ。68キロ。
<2018年日本オープン選手権の成績(7257ヤード、パー71)>
| 順位 |
選手名 |
スコア |
1R |
2R |
3R |
4R |
合計 |
| 1位 |
稲森佑貴 |
-14 |
68 |
67 |
67 |
68 |
270 |
| 2位 |
ノリス |
-12 |
68 |
70 |
69 |
65 |
272 |
| 3位 |
嘉数光倫 |
-8 |
66 |
71 |
71 |
68 |
276 |
| 岩田寛 |
71 |
68 |
68 |
69 |
276 |
| 5位 |
片岡大育 |
-7 |
69 |
71 |
69 |
68 |
277 |
| 時松隆光 |
68 |
71 |
69 |
69 |
277 |
| 藤田寛之 |
64 |
71 |
71 |
71 |
277 |
| 竹安俊也 |
69 |
71 |
65 |
72 |
277 |
| 9位 |
キュー |
-6 |
67 |
71 |
69 |
71 |
278 |
| 10位 |
武藤俊憲 |
-5 |
67 |
70 |
72 |
70 |
279 |
| B・ジョーンズ |
64 |
74 |
70 |
71 |
279 |
| 藤本佳則 |
65 |
73 |
70 |
71 |
279 |
| 13位 |
J・パグンサン |
-4 |
66 |
72 |
75 |
67 |
280 |
| 重永亜斗夢 |
67 |
72 |
70 |
71 |
280 |
| 鍋谷太一 |
66 |
71 |
69 |
74 |
280 |
| 16位 |
木下裕太 |
-3 |
68 |
72 |
75 |
66 |
281 |
| Y・E・ヤン |
72 |
70 |
70 |
69 |
281 |
| グリフィン |
67 |
72 |
72 |
70 |
281 |
| 梁津萬 |
65 |
70 |
75 |
71 |
281 |
| 20位 |
石川遼 |
-2 |
70 |
73 |
70 |
69 |
282 |
| マークセン |
69 |
72 |
70 |
71 |
282 |
| 片山晋呉 |
72 |
67 |
69 |
74 |
282 |
| 大堀裕次郎 |
68 |
72 |
68 |
74 |
282 |
| 24位 |
小田孔明 |
-1 |
68 |
73 |
70 |
72 |
283 |
| ☆金谷拓実 |
72 |
71 |
67 |
73 |
283 |
| 大槻智春 |
67 |
73 |
69 |
74 |
283 |
| 27位 |
村山駿 |
0 |
68 |
74 |
72 |
70 |
284 |
| S・H・キム |
69 |
75 |
69 |
71 |
284 |
| 今平周吾 |
68 |
71 |
72 |
73 |
284 |
| 宮本勝昌 |
71 |
72 |
67 |
74 |
284 |
| 小池一平 |
71 |
72 |
67 |
74 |
284 |
| 崔虎星 |
68 |
69 |
72 |
75 |
284 |
| 33位 |
☆米沢蓮 |
+1 |
72 |
70 |
71 |
72 |
285 |
| ☆桂川有人 |
69 |
65 |
78 |
73 |
285 |
| 日高将史 |
68 |
67 |
76 |
74 |
285 |
| 36位 |
H・W・リュー |
+2 |
72 |
72 |
72 |
70 |
286 |
| 宋永漢 |
64 |
76 |
71 |
75 |
286 |
| 38位 |
河野祐輝 |
+3 |
69 |
72 |
74 |
72 |
287 |
| 森雄貴 |
71 |
71 |
73 |
72 |
287 |
| B・ケネディ |
68 |
73 |
73 |
73 |
287 |
| 川村昌弘 |
69 |
74 |
71 |
73 |
287 |
| 谷口徹 |
67 |
72 |
74 |
74 |
287 |
| クウェイル |
66 |
73 |
74 |
74 |
287 |
| 上平栄道 |
68 |
73 |
71 |
75 |
287 |
| ☆ミクルージー |
71 |
69 |
72 |
75 |
287 |
| 46位 |
松村道央 |
+4 |
70 |
73 |
69 |
76 |
288 |
| 塚田好宣 |
71 |
68 |
73 |
76 |
288 |
| 48位 |
小木曽喬 |
+5 |
72 |
71 |
73 |
73 |
289 |
| D・オー |
65 |
71 |
77 |
76 |
289
|
| 50位 |
梅山知宏 |
+6 |
72 |
70 |
76 |
72 |
290 |
| スコット |
67 |
75 |
74 |
74 |
290 |
| 西悠太 |
75 |
69 |
70 |
76 |
290
|
| ☆今野大喜 |
69 |
75 |
70 |
76 |
290 |
| 54位 |
W・J・リー |
+7 |
76 |
67 |
74 |
74 |
291
|
| 55位 |
I・H・ホ |
+8 |
69 |
73 |
75 |
75 |
292 |
| ☆木村太一 |
71 |
73 |
72 |
76 |
292 |
| 川根隆史 |
71 |
68 |
75 |
78 |
292 |
| 原敏之 |
69 |
74 |
70 |
79 |
292 |
| 59位 |
出水田大二郎 |
+10 |
72 |
72 |
75 |
75 |
294 |
| 60位 |
手嶋多一 |
+11 |
71 |
73 |
74 |
77 |
295 |
| 61位 |
大田和桂介 |
+13 |
70 |
74 |
79 |
74 |
297 |
| 62位 |
☆野沢竜次 |
+15 |
73 |
68 |
78 |
80 |
299 |
(☆はアマ)
▲ ページの先頭に戻る
優勝:フォン・シャンシャン(中国)
中国のフォン・シャンシャン(当時23歳)が初日から首位を守り完全優勝した。
日米両メジャーを制覇
2012年6月の全米女子プロに続いて、日米両メジャーを制覇。
通算イーブンパー。
最終日は、18番で3メートルのパットを沈め、朴仁妃(パクインビ)を1打差で振り切った。
スコアボードは一切見なかった
「プレー中に見ても緊張するだけ。いいことはない」とスコアボードは一切見なかった。
パーパットを決めた後にボードを振り返ってようやく優勝を確信したという。
日中摩擦が高まる中での勝利に「日本のギャラリーは素晴らしい。先週の試合に来る前は少し心配はあったけど、そこで声援をもらって胸がいっぱいになった。今は一切心配してないです」とファンに感謝した。
4位:宮里美香
宮里美香(当時22歳=NTTぷらら)が日本勢最高の4位だった。
通算3オーバー。3打差の4位となった。
日本人最上位
米ツアー初優勝を飾って凱旋試合となった。
地力を示して日本人最上位でフィニッシュした。
「風もグリーンの状態も毎日違って面白かった」と振り返った。
最終日、6位からのスタートで6番までに3バーディーを奪って一気に首位へ浮上した。
だが、後半に入ると「自分のミスや番手のミスがあった」と3ボギーを叩いて失速した。
所属会社の社員が応援
会場には所属のNTTぷららの社員約50人が駆けつけた。
そろいのオレンジ色のシャツを着て応援した。
「海外メジャーの経験が凄く生きた」と語った。
米ツアー同様に“メジャー巧者”ぶりを発揮した。
5位:北田瑠衣
前半32のチャージで首位に並ぶも後半失速。
「順位は意識してなかったけど、後半の連続ボギーがもったいなかった」
11位:宮里藍
宮里藍(当時27歳=サントリー)が11位だった。
最終日、2打差からの逆転を狙った。
バーディーなしの4ボギーで76とスコアを落とした。
通算7オーバー、295。
自身にとって2012年シーズンにおける日本ツアー最終戦だった。
11位:有村智恵
「上位の選手はボギーが少ない。この大会が終わるたびに小技の重要性を感じる。もっと上達したい。」
24位:木戸愛(めぐみ)神奈川・横須賀出身
首位タイでスタートも、崩れて24位となった。
最終日、首位タイからスタートした木戸は80と崩れてしまった。
6オン2パット
滑り出しは順調だったが、落とし穴は4番パー5。
深いラフからの3打目で「少しボールが見えていたから、打てると思って背伸びしてしまった」と強引に打ってミスショットを招いた。
林に突っ込んでさらにトラブルとなり、結局6オン2パットとなった。
試合後、「もっと練習して、もっと強くなりたい。またここに帰ってきたい」と声を詰まらせた。
24位:横峯さくら
予選2日間終えて50位だった。
そこから24位まで盛り返した。
「前半は本当にひどくて、後半は試行錯誤しながらいい感じでプレーできた」
51位:永峰咲希(ながみね・さき)
宮崎日本大学高校(宮崎日大高)
高校2年生の永峰咲希がローアマに輝いた。
通算17オーバー、51位で篠原真里亜(福岡・沖学園高1年)と並んだ。
1番からプレーオフを開始した。
プレーオフ
プレーオフでは、ともにパーでしのぐと、2番はお互いボギー。
永峰が3番でパーをセーブし、プレーオフを制した。
「もうちょっと楽に取りたかった」と苦笑い。
本戦では前半をパープレーでしのいだ。
後半に42と崩れたとあって「トレーニングが足りない。体力がない証拠」と反省を忘れなかった。
<日本女子オープン優勝(歴代)>
| 年 |
優勝者 |
| 2011年 |
馬場ゆかり |
| 2010年 |
宮里美香 |
| 2009年 |
宋ボベ |
| 2008年 |
李知姫 |
| 2007年 |
諸見里しのぶ |
| 2006年 |
ジャン・ジョン |
| 2005年 |
宮里藍 |
| 2004年 |
不動裕理 |
| 2003年 |
服部道子 |
▲ ページの先頭に戻る
年末年始テレビマッチ「石川遼 対 ロリー・マキロイ」(2011年)
男子ゴルフの石川遼(当時20歳、パナソニック)が2011年11月28日、横浜CCで行われた年末年始のテレビマッチの収録に参加した。
2011年6月の全米オープンを制したロリー・マキロイ(当時22歳)=英国=との対戦だった。
マキロイ世界ランク2位
当時、マキロイは世界ランク2位だった。
マキロイは、次の2012年シーズンについて、米ツアーを主戦場にすると明言していた。
石川に対して、早期渡米のススメを説いた。
石川は世界50位から49位へ
このころ発表した世界ランクでは、石川が前週の50位から49位へ上昇した。
年内の世界ランク50位以内に与えられるマスターズ切符獲得へ、一歩前進したところだった。
記者会見で握手
世界1位に迫る勢いのマキロイは、横浜カントリークラブで開かれた記者会見で強く訴えた。
「リョウも自分もまだ若い。環境を変え、経験を積むことで、もっともっと強くなれるよ!」。
そう言って、石川に米ツアー参戦を説いた。
マキロイと石川遼はがっちり握手を交わした。
22歳で全米オープン優勝
マキロイは2011年4月のマスターズで優勝を争った。
全米オープンで頂点に立った。
新進気鋭の22歳だった。
マキロイは翌年の2012年シーズンに、主戦場を欧州から米国へ移すことになってた。
理由について次のように説明した。
「米ツアーは選手層が厚く、常に最高のプレーをしないと優勝争いには加われない。環境が変わり、慣れていけば必然的にプレーがよくなっていくと考えた」
テレビマッチ終了後の記者会見でのコメントだった。
「スイングスピードがコマのよう」
石川は、久々だったマキロイとのラウンドに少なからずショックを覚えたようだった。
以下のように語った。
「スイングスピードがものすごく速くなっていて、まさにコマみたい。軸がしっかりしているので、早くてもまったくぶれていなかった」。
同世代
同世代とはいえ、相手は世界ランク2位。
頂点に手が届こうとしているマキロイの進化に、賛辞を贈るしかなかった。
米ツアーへ、そしてマスターズ出場へ。
マキロイとの対面は最高のカンフル剤となったようだった。
BSスカパーで放映
テレビマッチは「BSスカパー」で放送された。第1部が2011年12月30日、第2部が2011年12月31日だった。
対談は2012年1月1日の放送だった。でいずれも午後6時開始だった。
ロリー・マキロイのプロフィール
| 年 |
概要 |
| 1989年5月4日 |
英国・北アイルランド出身。 |
| 2007年9月 |
プロ転向。 |
| 2009年 |
欧州ツアー、ドバイデザートクラシックで初優勝した。 |
| 2010年 |
米ツアーでも優勝。2011年の全米オープンでメジャー初優勝を飾った。175センチ、73キロ。 |
▲ ページの先頭に戻る
<大会概要>
| 大会名 |
関東高校選手権・神奈川県大会 |
| 開催日 |
2004年6月1日 |
| 優勝 |
個人:榎本剛(法政大学第二高校3年)
団体:横浜商科大学高校
|
| 会場 |
横浜カントリークラブ(6785ヤード、パー72) |
| 天候 |
雨 |
| 気温 |
気温17度 |
| 風 |
風速4.4メートル
|
| 主催 |
関東高等学校ゴルフ連盟 |
| スポーツニッポン新聞社(スポニチ) |
| 日刊スポーツ新聞社 |
| 後援 |
関東ゴルフ連盟 |
| 特別協賛 |
ブリヂストンスポーツ |
| SRIスポーツ |
| スポーツニッポン |
個人「榎本剛」、団体「横浜商大高」が優勝
個人の部は榎本剛(法政二高3年)、団体の部は横浜商科大学高校が制した。
榎本、劇的18番
劇的な幕切れで榎本が個人戦を制した。
最終18番、同組の高橋賢(アレセイア湘南3年)と4オーバーで並んでいた榎本が、1メートルのバーディーパットを沈めて突き放した。
約2年のゴルフ歴
榎本剛がゴルフを始めたのは高校生になってから。
約2年のゴルフ歴で手にした栄冠に「最後はかなりしびれました。きょうはすべてうまくいった。ミスは14番で池に入れただけ。この勝利は自信になります」と上気した顔で喜びを口にした。
関東決勝大会への出場権を獲得
個人の部シード選手を含む上位17人と団体4校が関東決勝大会(2004年7月23、24日、栃木・那須野ケ原CC)の出場権を獲得した。
団体優勝した横浜商大高は2004年8月の全国大会出場権も得た。
▲ ページの先頭に戻る